高石市の観光スポット
高石市はコンパクトな街でありながら、歴史ある建物や絶景など見どころがたくさんある街でもあります。 歩いて巡ることも可能ですので、是非一度足をお運びください。
高石神社
古くは天神の社として知られ、白雉元年(西暦650年)よりから大阪府高石市に鎮座しています。 平安時代に編まれた三代格式の一つ「延喜式」の神名帳には高石神社として記されており1360年余りの歴史をもっています。 御社には国造り・医薬・知識の神様の少彦名神、天照皇大御神、熊野坐三社が祀られています。
専稱寺
かつてこの地には、岸和田城主和田義明の弟、綾井伝内の居城として綾井城がありました。戦国時代には沼間一族が城主となりますが、兵火にあって消失。その後、玄誉上人がお告げにより濠から阿弥陀如来を発見し本尊として、法堂を建立したと伝えられています。 また、専稱寺では、御城印(1枚300円)が販売されており、人気を博しています。
住所:大阪府高石市綾園2-2-17
電話番号:072-261-1890
営業時間:9時~17時
休日:無休
綾井の清水
綾井という地名の由来となった湧き水で、井上家の一角にあります。綾織のように美しい水が沸くところから綾井と呼ばれるようになったと地元で伝えられています。
等乃伎神社
平安時代の「延喜式」神名帳に記載される式内社。その名称や富木という地名などから続日本紀に見られる殿木連との関係を想定させる古社です。神社付近の富木の集落一帯は殿木氏の本貴地と考えられ、南側には芦田川やその支流が流れる広い谷があり、方格地割が認められます。
大鳥羽衣濱神社
大鳥大社の4つの摂社の一つでこれらの摂社を併せて大鳥五社明神と称します。御祭神である両道入姫皇女は、日本書紀によると大和武尊の后であり、仲哀天皇を生んでおられます。また、当社は江戸時代には井戸守明神といわれ、社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれました。
大阪府営浜寺公園
「名松100選」にも選ばれている美しい松林を誇る公園です。明治6年、公園として指定された大阪で最も古い公園のひとつです。園内にはジャイアントスライダーのあるプール、ばら庭園、ゴーカートやSLが走る交通遊園などがあり、総合公園として多くの方々に親しまれています。初夏にはシーサイドフェスティバルが開催され、花火が夜空を彩ります。 また日露戦争後、明治38年に浜寺から高師浜にかけて、約2万8000人のロシア兵を収容するための俘虜収容所が設置されました。当時、高石村の人口は3500人余り、俘虜の人数はその約8倍に当たります。俘虜見物に訪れる人も多く、高石村は食糧をはじめ諸物質を運搬する馬車も多く、時ならぬ賑わいとなりました。浜寺公園内には、ロシア兵の霊を鎮める日露友好の像があり、当時の小泉純一郎総理大臣とロシア大統領プーチン氏の署名がある石碑があります。
南海高師浜駅
海水浴場であった高師浜の玄関口として大正8年(1919年)に建設。高級住宅地として開発された周辺の街並みにあわせ、高い天井と、入口上部にステンドグラスを配した西洋風のデザインが施された駅舎は、昭和45年(1970年)に高架化された後もそのまま使用されていました。 当時のステンドグラスは、現在市役所で展示中です。なお、現駅舎のステンドグラスは、レプリカを使用しています。
大雄寺石碑
南北朝時代の昔、南朝方の三光国師(サンコウコクシ)という人物が、このあたりに大雄寺という大きな寺を建てたそうです。そして吉野にあった日雄寺を「山の寺」と呼び、大雄寺を「浜の寺」と呼んだのが浜寺の由来のようです。残念ながら、寺は現存していませんが、南海電鉄伽羅橋駅から南へ200mほどのところにそのことを伝える石碑が建てられています。
夕日の絶景スポット
大阪最北端の砂浜で昔は「東洋一の海水浴場」といわれ賑わいをみせていました。現在は、50メートル程の砂浜が残っており絶景の夕日スポットとなっています。
桜の見どころ
高石市には桜の見どころもたくさんあります。 それぞれに違った趣があるので、巡ってみてはいかがでしょうか。
高石桜マップ(PDF:963.8KB) (PDFファイル: 963.8KB)
工場夜景
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